ぐずぐずにっき

日々の事を徒然と。

吉井和哉とあったかいBowie

この前一緒に飲んだ人とデヴィッド・ボウイについて熱く語ったら書きたくなった事がある。

 
吉井和哉氏についてだ。
 
誤解を恐れずに言えば、私はもしかしたら吉井さんの純粋な音楽のファンではないのかもしれない。
 
念の為記しておくと、吉井和哉さんはTHE YELLOW MONKEYのヴォーカリストだった。2004年解散。
そんな吉井さんの曲をリアルタイムで耳にしていたのは小学生の頃-楽園やBURN、球根。
実を言うとその頃は嫌いだった。
小学生に分かるわけないじゃないかと言われてしまえばそれまでなのですが(笑)。
 
中学生になり、デヴィッド・ボウイに出会った。
時は2002年。まわりにボウイの良さについて話せる人なんて、居なかった。
私は密かに、デヴィッド・ボウイの、いわゆるグラム時代のアルバムってとってもあたたかい曲がたくさん詰まってると思っていた。
でもどんな本を読んでも、ボウイのグラム時代のメイクやファッションに焦点が置かれていて、曲のあたたかさに触れている人は見つけられなかった。
だから私は間違っているんだと思った。
 
そんな時、きちんと読んでいなかったボウイの'hours...'のライナーノーツを手にした。
そこに、衝撃の文字を目にする。
 
「ハンキードリーの頃のようなあったかいボウイ
 
そんな表現をする人が居たなんて。
一体、誰?
 
吉井さんだった。
 
同じ目線でボウイを見ている人が居たのかと感動してしまった。
 
吉井さんは、ミック・ロンソンのソロアルバムのライナーノーツでもこのようなことを書いている。
グラムロックには独特の周波数がある。音質的にではなく感覚的にだ。僕は中でもボウイのアルバムの、71年から74年にかけての周波数がたまらなく好きだった。
この、「周波数」という表現にとてもしっくり来た。
私の中の、あったかいボウイはまさに71年から74年なのだ。
そして、ボウイだけではなく、グラムロックに関しても同じ考えを持っている。
 
グラムロックはとても掴みどころのないジャンルで、定義も人によってバラバラだったりする。
それが悪いとは思わない。
でも大抵の定義は私のそれとはズレていたりする。
 
グラムは、ちょっとダサくて、あったかくて、やさしい。
 
ボウイのグラム時代のかっこよさや美しさなんて、私にとっては本当はどうでもよかったりする。
 
ボウイの同じようなポイントを好きな人がこの世に居たのか!
 
吉井和哉はその頃の私の唯一の理解者だったのだ。
勝手に申し訳ないが(笑)。
 
その後、イエローモンキーの楽曲を全て聴いた。
ボウイに対する愛が沢山散りばめられていた。
私は吉井さんの作る曲を聴いて、クスっとするのが大好きなのだ。
 
一昨年あたりのインタビューで、会いたい人は?と聞かれて、「デヴィッド・ボウイ。でも今は会いたくない。」と答えていた吉井さん。
素直じゃないなぁ、でもその気持ち分かる、とまたクスっとしてしまった私。
 
そして今年、ボウイの新作がリリースされての吉井さんのコメント。
おかえりなさい、僕のデビッド・ボウイ
また私は笑った。
ほんとうは大好きなのに、ボウイに振り回されてしまう。
私もそうだから、すごく分かるのだ。
 
吉井さんの、ボウイに対する愛が、私は大好きです。